コロナ禍が「異常事態」と捉えられていたのって、実は去年までで、

すでに今の状態って日常なのでは…?という気がしています。

でもって、緊急事態も長く続くとそれが日常になるということが

何やら怖いなぁ…とも思っています。

CPMはせがわです。

通期の決算見通しでいくと、鉄道各社は赤字の可能性が高い様子。

今の状態が『異常』から『日常』に、それは企業も変わらんのかもですね。

出勤の必要性が失われれば、当然企業は通勤手当をカットします。

恐らくは都度出社するたびに発生する交通費をスポットで

経費申請で処理するといったルールになっているものと思います。

つまり、定期を買う人が減る。

ここが赤字の主なファクターのようです。

 

…で、ふと思う訳です。

通勤ラッシュのあの状態を通勤者へ毎日強いることで

ようやく売上上げてたんかぃ…と。

腰骨折れるんじゃないかというすし詰め状態で走らせないと赤字な訳ですね。

もちろん、乗る人が少なくても電車は運行せねばならないですし、

そのためには膨大なコストもかかる。事情はよく分かるんですが。

打開策はシンプルに本数減らすしかないということなのでは…?と。

 

物心ついたときから、父も朝早く家を出て行き、

満員電車で都心の会社に行くのが当たり前でしたし。

自分も社会人になってそれが当たり前の

通勤風景だとそう思っていたんですが…。

どうやら、そこも曲がり角なのでは…?と考えたりもします。

 

当たり前に存在していたインフラも、

その収益構造も、そろそろ再考せにゃならんと。

遅かれ早かれだったその課題がいま顕現している気がしますよね。

このコロナ禍を悪かった時代として

ばっさり切ってしまうのはそりゃあ簡単な話なんですけど。

現実問題良くはない訳ですし。

でも、それがキッカケでこれまで特に変だと思わなかったことに

「ん…?」と気付けるようになった。

当たり前に疑問を持つ、異議を唱える。

それができるようになったことはコロナ禍のせめてもの功績だよな、と。

先日お仕事で逗子に行ってきました。

海岸近くでサンセットを見ながら

コーヒー片手に打ち合わせができ、仕事ができる。

仕事はできているのに、なぜか『忙殺』されている感じもなく

とっても人間らしく、仕事できるなぁと思いました。

 

こんなことができるようになったのも、

そんな感情になれたことも、これもまたコロナ禍の功績かも。

そうでも思わないとやってられない、というのもありますけど、

実際この状況でなければ、逗子のオープンテラスで仕事をする、

という感覚すらなかったと思います。

 

コロナが終息した世界。

その有り様はどうなっているのでしょうね…。

 

それではまた次回。

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このブログを書いた人

CPM 長谷川 悠介
CPM(米国公認不動産経営管理士)有資格者が様々な分野についてわかりやすく説明します。